3月定例会レポート – 日本とその周辺諸国

3月21日秋分の日に、東京都内でアジア開かれた太平洋交流学会の3月定例会では、杉田水脈さん(前衆議院議員)の講演を実施しました。

杉田水脈さんは、視察された金門島(台湾)のことなどを話されました。

 

金門島は、台湾本土から飛行機で1時間の距離ですが、中国大陸から3.2㌔(干潮時には1.8㌔)の距離です。

国共内戦で、毛沢東などの共産軍に追いやられた蒋介石が、はじめて金門島で勝利し、台湾島への進攻を阻止しました。その金門島の戦いの指揮を執ったのが、帝国軍人の根本博中将です。

根本中将は、敵の大兵力をまず上陸させ、ジャンク船を焼いて退路をたち、奇襲攻撃という戦法です。

結果、共産軍の大敗北となり台湾侵攻を断念しました。

 

根本中将は終戦時、北支那方面の司令官で、国民党軍の協力を得て日本人居留民を無事、安全に日本に送り返すために奮迅努力した方です。

根本中将に面談した蒋介石は「日本人居留民の安全と、無事に日本へ帰国するための復員事業への積極的な協力をする」と約束。根本中将は、蒋介石に「閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます」と約束し、それに応えたのです。

 

いま金門島には、中国本土からも観光客が来るようになっています。

金門島には、1992年まであった「特約茶室(軍の慰安所)」の施設を見学できます。当初は軍のため、後に一般の人も利用できたということです。

そこでは、ヤミでやっていた方を保護し、そこで働いていた方などが給料をもらって生活し、キチンと社会復帰も果たしていました。

戦時においてソ連などは、そういう施設がなかったことから、略奪し婦女子を強姦していったのです。

 

日本が統治した台湾や朝鮮は、日本の植民地ではない。県として同等でした。

『KANO(嘉農)海の向こうの甲子園』という映画が、日本でも一部地域で上映されています。

実在した嘉義(かぎ)農林学校を舞台にしたもので、日本人、朝鮮人、高砂族の選手からなるバランスの良いチームが、1931年(昭和6年)夏に甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会で、準優勝した話です。

台南駅は、今でも日本の統治時代のものが使われています。日本に良くしてもらったと感謝しています。

この点は、現地人から搾取の限りを尽くす、欧米の植民地支配と明らかに根本的に違っていました。

 

このほかにも杉田水脈さんは、自らの体験として、現場主義にもとづく国会活動、慰安婦問題など思想戦などに触れるとともに、日本人のキーワードは「自立」、そして「恥ずかしいと思う心を取り戻すこと」と強調されました。

そして「日本人は、すばらしい民族」「日本のよさを見直そう」と、訴えられました。

※ 会員の鳥居様からいただいたレポートになります。